2014年02月08日
中庸
東洋医学の基本には陰陽、五行などがありますが
それらがバランスよく、偏りのない『中庸』の状態が
健康である、といっても良いかと思います。
『中庸(ちゅうよう)』というのは一体どう意味か?
wikipediaによりますと
「中庸」の「中」とは、偏らない、しかし、決して過不及の中間を
とりさえすればよいという意味ではない。
よく、中途半端や50対50の真ん中と勘違いされている。
中間、平均値、足して2で割るというものではない。
常に、その時々の物事を判断する上でどちらにも偏らず、かつ平凡な感覚でも理解できるものである。
中庸の徳を常に発揮することは聖人でも難しい半面、学問をした
人間にしか発揮できないものではなく、誰にでも発揮することの
出来るものでもある。恒常的にいつも発揮することが、難しい
ことから、中庸は儒教の倫理学的な側面における行為の基準をなす
最高概念であるとされる。
ここで私が大切だと思うのは『偏らない』ということです。
自分の思考というのは自分の好みや偏見などにより
容易に偏りやすい一面を持っているように思います。
たとえば、食事。
偏らずに肉も魚も野菜も食べた方が良いというのは
一般的にはよく言われています。
けれども、どういうわけか『肉は食べません』という方が
なかなか多く、体質をカウンセリングしていると
肉を食べた方がいいんじゃないですかね、と思うことがあります。
なぜ、肉は食べないのかを聞いてみると
体が軽いし、浄化されない、と言う方もいます。
では何が浄化で何が不浄なのでしょう?
かなりミニマムな考え方のような気がするのです。
もっと広く食べ物、動物、自然、という関係の中で
人間というもののちっぽけな存在が生き延びていくには
色んな命を頂いて生かさせてもらっている、という謙虚さが
つまりは『中庸』につながると思うのです。
何でも『過ぎる』ことをせず腹八分目でいる。
そしてなるべく、それが
自然に近いものを選択していく、というのが『なつめや』の
考える中庸です。
肉や魚は飼料で育てられたものが多いですが、なるべく
その飼料がケミカルなものを含んでいないようなものを
選ぶとか、野菜も組み換え遺伝子でないものを選ぶとか、
塩・砂糖なども天然のものを使うとか、
もともと自然に近いものを選んでいく、そしてそれを
自分の体の感覚で『過ぎない』ほどに摂取していく。
頭で考えすぎない。
体の感覚を大切にして、ありがたく食事を頂く。
ただそれだけの単純なことが
なかなかムズカシイデスネ。
『中庸』って。
それらがバランスよく、偏りのない『中庸』の状態が
健康である、といっても良いかと思います。
『中庸(ちゅうよう)』というのは一体どう意味か?
wikipediaによりますと
「中庸」の「中」とは、偏らない、しかし、決して過不及の中間を
とりさえすればよいという意味ではない。
よく、中途半端や50対50の真ん中と勘違いされている。
中間、平均値、足して2で割るというものではない。
常に、その時々の物事を判断する上でどちらにも偏らず、かつ平凡な感覚でも理解できるものである。
中庸の徳を常に発揮することは聖人でも難しい半面、学問をした
人間にしか発揮できないものではなく、誰にでも発揮することの
出来るものでもある。恒常的にいつも発揮することが、難しい
ことから、中庸は儒教の倫理学的な側面における行為の基準をなす
最高概念であるとされる。
ここで私が大切だと思うのは『偏らない』ということです。
自分の思考というのは自分の好みや偏見などにより
容易に偏りやすい一面を持っているように思います。
たとえば、食事。
偏らずに肉も魚も野菜も食べた方が良いというのは
一般的にはよく言われています。
けれども、どういうわけか『肉は食べません』という方が
なかなか多く、体質をカウンセリングしていると
肉を食べた方がいいんじゃないですかね、と思うことがあります。
なぜ、肉は食べないのかを聞いてみると
体が軽いし、浄化されない、と言う方もいます。
では何が浄化で何が不浄なのでしょう?
かなりミニマムな考え方のような気がするのです。
もっと広く食べ物、動物、自然、という関係の中で
人間というもののちっぽけな存在が生き延びていくには
色んな命を頂いて生かさせてもらっている、という謙虚さが
つまりは『中庸』につながると思うのです。
何でも『過ぎる』ことをせず腹八分目でいる。
そしてなるべく、それが
自然に近いものを選択していく、というのが『なつめや』の
考える中庸です。
肉や魚は飼料で育てられたものが多いですが、なるべく
その飼料がケミカルなものを含んでいないようなものを
選ぶとか、野菜も組み換え遺伝子でないものを選ぶとか、
塩・砂糖なども天然のものを使うとか、
もともと自然に近いものを選んでいく、そしてそれを
自分の体の感覚で『過ぎない』ほどに摂取していく。
頭で考えすぎない。
体の感覚を大切にして、ありがたく食事を頂く。
ただそれだけの単純なことが
なかなかムズカシイデスネ。
『中庸』って。
Posted by なつめや at
20:08
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