2016年09月19日

赤いなつめの実る頃

そろそろなつめの実が緑色から赤色に色づいてくる。
毎日犬の散歩で通りかかる近所の家の木の『なつめ』はただ
ポトリポトリと
その素晴らしい役割を果たさないまま落ちていくのを
なんとかできないものかと思っていた。

知らないということはその存在を活かしきることができない、
ということに繋がってしまうのだと、無意識にも理解していた
ように思う。

そんな私はもともと薬剤師になることを望んでいなかった
にも関わらず、医療の現場に入ったら病と体と心と人の繋がりを
目の当たりにし、西洋医学と東洋医学、それぞれにどっぷり浸かる
ことになった。
それは今となっては自分の一部であるかのように。

『人が健康である』ということはどういうことか。

健康診断で異常が出なければ健康なのか。
風邪を引かなければ健康なのか。
がんにならなければ健康なのか。

いずれも目に見える、物質的な基準で『健康』を
推し量ろうとする。

目に見えることで推し量ろうとするなら、
なんとなく体が調子が悪い、やる気が起きない、
不眠ではないけれどよく眠れない、
赤ちゃんが欲しいけれど検査では異常がない、
などは『健康である』といえるのだろうか?

いずれも、『健康ではないけれど病気でもない』という
『半健康』と東洋医学では考えられる。

でも、なぜその状態になっているか?を検査しても
原因が出てこないことが多い。

検査だけでは把握できることなんてかぎられているんじゃ
ないだろうか。

原因は必ず、その人の体に答えとしてあるはずにも関わらず。

人は目に見えるものは信じるけれど、目に見えないものは
信じることを躊躇する。

数値だけが頼り、というのは体の感覚を無視しすぎ
てはいないだろうか?

自分の体をよく観察し、感覚を取り戻り、
自分がそういたっている原因を探る。

身体の中の小宇宙のようなそれぞれの器官の連携を知り、
その繋がりの中に不調となる原因の糸口を見つける。
そうして、その絡まった糸を解くように
身体の感覚を取り戻り、身体を活かしきる。

そんな身体と向かい合う視点をいろんな人が持ち得たら素敵だ。
そして、それは決して無駄な視点ではないはず。

私なりの視点で『自分の身体との向かい合い方』を
改めてこのブログで伝えていきたいと思います。

『赤い棗の実る頃』として。

ポトリと落ちたまま使われずに踏まれ、朽ちていく赤いなつめ。
なつめの良さを改めていろんな人に知ってもらって、なつめを
あますことなく使い切れるように。

知ることから全ては始まる。

自分の身体や心を心地よく整え、活かしきって
人生を味わいつくしていく、東洋医学の先人の知恵を
すこしずつお伝えしていきたいと思います。


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Posted by なつめや at 21:34│Comments(0)つれづれ
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