2017年02月19日

奇跡の連続

自分が当たり前のように生活していること、
出会う人、行く場所、食べるもの、
全てが当たり前に存在していると思っているけれど
そのどれもが、もし、急な事故にあったり
病気になったりしてしまえば
それは当たり前のものではなくなる。

自分の人生の主役は自分。

自分の人生に生きる意志を見出す。

自分がどうしたいのか、
何を食べ、どこへ行き、何をしたら楽しくて
幸せと思うのか。

他人が幸せと思ってもらうために
自分の意志を伏せて、それで
自分も楽しめるならいいけれど
自分の心が全く楽しめない、
自分の意志を押さえつけてしまっては
誰の人生なのか、と思う。

いわゆる『ストレス』というのは自分の意志が通らない
抑えた状態に生じる。
自分の意志を通すのか、諦めるのか。
そうして諦めた自分の意志の行く先はどこなのだろう。
その『ストレス』はいわば『自分の意志のあきらめ』ではないだろうか。
その『意志のあきらめの塊』を体にためていけば
どんな体になるだろう。
人によってはそのあきらめは怒り、になるかもしれないし
悲しみになる人もいるかもしれない。

そういう感情が溜まることが体にとって
どんな影響を及ぼすか、考えてみると
『自分の意志』はあきらめないほうがいい。

喧嘩をしたり、悩んだり、
楽しいこと、嬉しいこと
全て自分の人生の証。


当たり前と思う人生は
決して当たり前ではなく
一つ一つの出来ごとは
奇跡の積み重ねだと思えば
自分の意志を最大限尊重し、生き切ることが
生きた証となるのではないかと
このところ強く思うのであります。

  


Posted by なつめや at 22:17Comments(0)つれづれ